恋人選びの条件
僕の恋人選びの条件の一つに、食の好みが似ている人ということがある。
不思議なもので、食の好みが似ている人とは他の大方の好みも似ている。
大方というのは、生活スタイルやお金の使い方、価値観のことである。
例えばレストランに行って、アラカルトでお互い2品づつ好きなものを選んで取り分けるとする。
食の好みが似ている人とは、相手と自分の選んだメニューのほとんどが一致する。
しかし好みが合わない人の場合、相手はこちらが想像もしない料理を選んでくる。
そんなとき、僕はすごく損をした気分になってしまう。がっかりしてしまうのだ。
僕が特別、食い意地が張っているのかとも思って周りの友人にも尋ねてみたが、どうやらこれは多数意見らしい。
食が生活に与える影響は、思いのほか大きい。
日常生活においても、デートや記念日等の外食でも、飲み会でも、パーティでも、会社の懇親会でも、同窓会でも、親類の集まりでも、結婚式でも、葬式でも、旅行に行っても、とにかく私たちは一日3回も必ず食と向き合っている。
しかもそれは毎日のことで、365日切り離せない。
しかし食の好みが似ている人を探すのは、それほど簡単ではない。
「食の好みなんて、一緒に生活していればそのうち合ってくるものよ。」
そう言う人もいる。
本当にそうだといいのだが、実際
「食の好みの違いは、けっこうしんどいよ。」
という人も、またいるわけで、結局僕は気がつくと相手の好みをさぐっている。
同じ理由で、味オンチとグルメも困る。僕はどちらでもない。
味オンチな人間は本当に存在する。彼等は、どんなものでもおいしく食べることができるらしい。
でも、それは決して幸せなことではないと思う。
工夫もアレンジも隠し味も、彼等には届かない。料理を作る人間は、作る意欲を大きくそがれてしまうだろう。
一方、グルメはもっとたちが悪い。
僕の従兄弟の父親は、食に対するこだわりが人一倍強かった。
家庭の食事においても、一口食べて口に合わないと感じると一切手をつけない。そのことについて文句を言ったりすれば、ちゃぶ台をひっくりかえす騒ぎになったという。
従兄弟たちも父親の気質をそのまま受け継いで、レストランに行ってもこんな不味いものは食べられないと言う。
僕は、彼等を気の毒に思う。なにより楽しく食事ができないのがいけない。
たとえレストラン選びを失敗したって、それだけが食事の目的ではないのだから、僕たちはがっかりしながらも会話を楽しむことができる。しかし彼らは、それでは楽しめないのだという。それは本当に気の毒なことだと思う。
なにはともかく、人にはそれぞれに食の好みというものがあって、それは意外と生活に影響している。
僕はそれが楽しいし、ちょっぴり残念なときもある。
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