気持ちの穴
こころのどこかに絶対にうめられないぽっかりと空いた「気持ち」がある。
わたしには、そこがどこにあるのか、それが、どんなカタチをしているのか、そして、それがどれくらいの大きさなのか分からない。けれど、それは私の中で、ときどき大きくなったり、小さくなったりする。
わたしは、その気持ちのことを「くら」と呼んでいる。
ときどき「くら」は、私の意識の前に現れては、膨らんだり、萎んだりして私を苦しめる。
わたしは、そんな時どうすることもできない。ただ「くら」が小さくなって消えていくのを祈るばかりだ。
今でも覚えている。
23才の誕生日を迎えてしばらくたったある夜、はじめて「くら」を感じたその日、私は恋人とデートの約束をした。
いつもの場所で待ち合わせをし、恋人は約束の時間きっかりに現れた。
私たちは、いつものようにお気に入りのイタリアンレストランに行き、アラカルトでお気に入りを注文した。
この店は暗い。レストランなのにバーのような雰囲気を持つこの暗さが私はとても気に入っている。ろうそくの灯りに照らされた料理とワイングラス。ここで飲むワインは、香りの強いものが合う。視覚を遮られることで、香りや味覚が敏感になる気がするのは、私だけだろうか。
食事を終えるとバーに立ち寄り、 透き通った青色の松やにの味のするカクテルを1杯だけ飲み、席を立った。
恋人はいつもどおり私を家の前まで送り、 車を止めると
また電話するよ、といってわたしの首のうしろに手を回し髪の上から軽くキスをした。なぜ、その日のキスが額だったのか、私にも分かる気がした。
「くら」を感じたのは、その夜だ。
「くら」が私の前にでてくると、恋人はすぐに気づく。
もちろん恋人に「くら」は見えない。でも恋人は「くら」のことを知っているのだ。「くら」がいるとき、私は「くら」のことばかり考えているから。
食事をしても、
だれかと会話をしても、電卓をたたいていても、
文章を書いていても「くら」は一度あらわれると私の思考を支配する。私のからだの細胞のあちこちをいったりきたりしながら、
ときに膨らんだり、萎んだりして、私の思考を自分から離しまいとする。
そしてある朝、目覚めるとくらは消えている。
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